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義経から見えてくる日本人の本質

歴史を見るとその国の本質が見えてくる。

どのように今が作られ、
どういった国民性をもっているかなどである。

歴史的偉人が人気がある理由も同じだ。

なぜこの偉人が人気があるかを分析することは、
その国民性の本質を見るに等しい。

さて、ここに源の義経という人物がいる。

彼は人気の織田信長や
坂本龍馬などど並んで、
日本人が好む偉人である。

この人気の理由はどこから
来るのだろうか。

目次

義経とは

簡単に義経の生涯をあらってみよう。

誕生は1159年とされている。
死んだのは30歳という非常に
若い頃である。

平治の乱によって父親が平家に破れ、
それによって幼少時は不遇の時代を送った。

その中で兄の頼朝が平家に対して反乱を起こし、
義経も兄のもとにかけつけた。

義経は戦場で目覚ましい活躍をみせ、
見事父の敵である平家を討滅ぼす。

悲願が叶った後になんと実の兄と対立し、
そのまま自害することとなる。

これによって義経の生涯は、
悲劇的な美談として日本史に
語り継がれることとなる。

判官贔屓とは

例えば判官びいきという言葉がある。

これは義経の不遇を同情した
言葉である。

義経の境遇がそのまま
誰もが知る日本語になっている
わけであるから、

義経の人気の理由を
説明する最たる理由といえるでしょう。

広辞苑によると判官贔屓はこのように説明
されています。

源義経を薄命な英雄として愛惜し同情すること。 転じて、弱者に対する第三者の同情や贔屓。」

広辞苑

これによると、義経は確かに英雄と呼ばれるような
強い人物像であるが、
同時により権力を持った者に対しては
弱者であり、
不幸に見舞われた人物というものである。

幸薄な悲劇像が義経であるようだ。

日本人は判官びいきか?

さて、日本人は本当に判官贔屓なのだろうか?

つまり幸薄な者に同情する性質の持ち主
なのであろうか?

まあもちろん日本人には優しさという
固有の概念がある。

英語のKIND/親切とも違う、
もっと情のこもった心情である。

判官贔屓はこの日本人の
優しさ、哀れみの心を象徴する
日本語だといえよう。

だからといって日本人が
優しさに包まれた民族かというと、
疑問を抱かざるを得ない。

日本人の本質は優しさか?

例えば現代ではSNSによって
人々の心情が脆に表現されるように
なった。

その結果日本では隠れて罵詈雑言をするという、
世界でも珍しい暗黒面が露呈されてしまった。

日本人は確かに親切であると
世界でも評価されるが、
それは社会的な強制によるところが大きい。

強制されたものであるため、
SNSなどの匿名の世界では
その枷が容易にはずれるのだろう。

なぜなら匿名であるため、
親切性を保護にした
サンクション(罰則)がないからである。

もちろんその暗黒面が日本人の
全てとは言えない。

強制ではなく、本心から
優しい人もたくさんいる。

しかしそれは世界中を見ても
同じである。

優しい人もいればそうでない人も
世界中にはたくさんいる。

日本人は同調圧力が強いため、
親切心という強制が社会的に働く。

それによって表面的には
親切心の総量に多いように
みえるわけである。

つまり優しさは必ずしも日本人の
本質ではないわけである。

義経が日本人に人気の理由も、
この優しさに由来するようなものではないと、
分析することができる。

ようするに、判官贔屓は義経の
人気を表しているわけではない。

それは義経が人気であるがために、
彼を思って作られた言葉だ。

つまり後付の論理なわけである。

もうわかりやすく説明すれば。

そもそも義経にはある理由で
日本人にとって非常に人気だった。

この人気者が不幸な最後を遂げてしまった。

この人気の故人の記念碑として、
彼を同情する言葉が生まれた。

というわけである。

ここで大事なのは、
義経が日本人にとって人気なのは、
別の理由があるということだ。

義経とは改革者である

では義経が人気の理由はなんであろうか。

それは同じように人気者である、
信長、龍馬をみれば一目瞭然である。

義経とはこのふたりと同じ資質であるところの、
改革者であるのだ。

いまでいえばイノベーターといえるだろう。
現代で言えばスティーブ・ジョブズや、
イーロン・マスクなどが頭に浮かぶであろう。

既存のルールをいともたやすく破壊し、
人類をより進歩させる人間。

義経もこういった改革者に分類する。

日本人というのは、保守的な人種と思われているが、
実は改革者が大好きなのだ。

伝統を破壊した。

さて、ではどういった点で義経は、
イノベーターであったのだろうか。

義経といえば戦争である。
ハンニバルのように政治色は薄く、
純粋に戦争に長けた武将であった。

そしてこの戦争という彼の領域においてこそ、
義経とは革命者であったのだ。

彼は天才的に戦争が上手であったのだが、
単に上手だっただけではない。

つまり従来の常識を覆す
イノベーターであったのだ。

それは戦場でのルールを変えたということだ。

それまでの戦場は一騎打ちが主流だった。

一騎打ちとは騎馬に乗った武士同士の
一対一の戦いだった。

この一騎打ちは平安時代、鎌倉時代では
当たり前に行われていた。

上級騎士が一騎打ちを担当していた。
彼らは我々がイメージする通りに、
まずは大声で名のりをあげた。

その後は切り合いをお互いにするイメージであるが、
実際には馬上における弓の打ち合いからはじまった。

そこで決着がつかなければ組打に
はいっていたようである。

この時代ではこの一騎打ちが
戦場の道徳であった。

現代の観点から見れば、
やや滑稽に見えるルールである。

誰でもこんな非合理なルールは
破ってしまえるように思えるが、
それはあくまでも現代の感覚で見れば、である。

この時代ではこれが合戦の道徳であった。
このルールを破ることは、
すなわち社会のルールを破ることである。

仮に合戦に勝利したとしても、
その武将は社会から蔑まされることは
必定であろう。

現代社会でも非合理なことはたくさんある。
多くのひとは会社のルールに嫌気が
さしているのに、それに従わざるを得ない。

そうしないと生きていけないと
考える人が多数だからだ。

それと同じようにこの時代で、
この合戦のルールを破ってしまえが、
武士社会では軽蔑されてしまうだろう。

たとえ合戦に勝利したとて、
その後の社会では評判を落とすだけである。

だとすれば現代人の多くも、
この合戦時代に生まれたのなら、
この一対一の論理を破ることはできないだろう。

そればかりかそれが不合理だとすら
思わないはずだ。

しかしそのルールを破ってしまったのが、
この義経である。

新しい時代を切り開く天才

ことが起こったのは壇ノ浦の戦いである。

誰しもが名前を聞いたことのある戦いだろう。

それまで日本を支配していた平家政権が
終わりを告げる最後の戦いである。

以後新しく武家政権が確立することとなる。

この戦いは新しい時代の幕開けを切り開く
戦いとなるわけである。

それと同じように義経はまさに
新しいことをこの戦いでおこなった。

義経は軍船の漕手を射殺してしまったのだ。

船の漕ぎては一般人が担当しており、
これを殺害することは禁じ手とされていた。

この義経の行為は当然避難の的となる。

海上戦において船の漕手を最初に
射殺すのは戦争において極めて
合理的であるといえる。

しかし一方でそれをしてしまえば
社会から疎外されてしまう。

実際に義経は数々のルールを破り、
実の兄に死に追いやられることとなる。

後のモンゴルとの戦いや戦国時代をみても
分かるように、
義経の合理性はいまとなれば正しいことがわかるだろう。

モンゴル相手にやあやあわれこそはと
やっていたらそのまま射殺されたわけである。

しかしこの国際基準にこの時点で義経は
おいついていたわけである。

義経とはイノベーターである、
同時代の人間が不気味に恐れるほどの、
改革者なのである。

日本人は創造者を好む

ここまで見てきて義経という男が
悲劇的な可哀想な対象でないことは、
もはや明確であろう。

つまり日本人が義経を好む理由は、
哀れみなどというものではない。

彼のその破壊的な創造性に
惹かれているのだ。

それゆえにこのような創造性に
富んだ偉大な人物を失った
ことを日本人は嘆いているのだ。

これが判官贔屓の正体であり、
ここを履き違えてはいけない。

そもそもよく考えてほしい。

日本人に人気の偉人といえば、
信長、坂本龍馬、義経などがあげられる。

彼らに共通しているのは、
みな新しい時代を切り開く、
破壊者であり創造者であるのだ。

ここからも、日本人が本当は
何を好む人種なのかが、
実は明確ではないだろうか。


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