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【戦争論】クラウゼヴィッツとは何者か

カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz)は戦争論を書いた著者として有名です。戦争論は現代の戦争古典であると言えるでしょう。軍事家だけでなく、政治学者や社会学者も彼の本を読むように、戦争とは何かを理解する上で人類史上において重要な著作と位置付けられています。戦争論というその名前は一度は聞いたことがあるという人も多いかと思いますが、クラウゼヴィッツがどういった人物かはあまり知られていません。実際に今回はこのクラウゼヴィッツが何者かを探ってみましょう。

目次

クラウゼヴィッツの幼少期

クラウゼヴィッツは実は軍人の出身です。生まれはプロイセンのブルンスヴァイクです。1780年6月1日に軍人の家系に生まれました。幼少期から軍人としての英才教育を受けることになりますが、クラウゼヴィッツ自身優れた才能を発揮していました。学業では優れた成績を残し、本人も貪欲に知識を吸収します。それだけでなく、スポーツ面でも旺盛でした。15歳でプロイセンの軍事学校に入学することになります。これだけみてもわかるように、クラウゼヴィッツとは、エリートであり天才であることがわかります。軍人としての専門性を磨きつつ、広範な知識を取り入れたクラウゼヴィッツは、まさに後年に古典となる軍事理論を築き上げる偉人に相応しい幼年期を過ごしたと言えるでしょう。

ナポレオン戦争を経験する

クラウゼヴィッツを知る上で欠かせないのは、ナポレオン戦争です。1801年にプロイセン軍の少尉として軍務についてクラウゼヴィッツですが、ナポレオン戦争に直面することとなります。1806年のイエナ・アウエルシュテットの戦いでは、ナポレオンと直接対決をすることとなります。クラウゼヴィッツはプロイセン軍の参謀でした。天才対天才の戦いというのは、歴史物語においても胸を躍らせる主題の一つです。しかし我々一般人からするとクラウゼヴィッツというのは途方もないエリートであり天才ですが、それでもナポレオンという天才の前では比較にならないようでした。プロイセン軍は壊滅的な敗北となり、クラウゼヴィッツは捕虜となります。生きているだけでもマシな方と言えるかもしれませんが、エリートであったクラウゼヴィッツにとってこの体験は大きな衝撃となります。数年間を捕虜として過ごすこととなり、この時の体験こそが彼の戦争論に大きな影響を与えることとなります。

不屈の闘将、クラウゼヴィッツ

さて、戦争論は文学的な著作ではなく、軍事理論書です。哲学的に深い省察が含まれているため、その影響は軍人を超えて政治家や哲学者にも影響を与えています。しかしあくまでも軍事理論書であるのは間違いないため、敗戦の将が著したのでは説得力がないでしょう。しかし、捕虜として解放されたクラウゼヴィッツは、挫折に意気消沈するような男ではなかったのです。彼はここから軍人として再起を図ります。クラウゼヴィッツが軍人として業績を残したのは、ロシア遠征(1812年)とライプツィヒの戦い(1813年)です。この二つの戦いはナポレオンが敗退する転換点となる重要な戦争であり、クラウゼヴィッツもここで重要な役割を担っていました。

ロシア戦争という巨大で広大な戦争において、クラウゼヴィッツは参謀将校として参加しました。戦争の計画と作戦の立案を行ったのですが、ここでクラウゼヴィッツの分析力と洞察力が遺憾無く発揮されました。彼はプロイセン軍の指導者たちに的確なアドバイスを行い、彼らが必要とする情報を提供しました。ロシアとは広大な土地であり、ナポレオン軍もまた70万規模の類例を見ない大規模な軍隊を率いていました。しかもナポレオンという天才と再び対峙しなければならないのです。この未曾有の大戦争をブレーントしてクラウゼヴィッツは見事に乗り切ったわです。結果はナポレオン軍の大敗で終わります。次のライプツィヒの戦い(1813年)の戦いにおいても、クラウゼヴィッツは参謀として参加します。ここでも戦争全体の分析と作戦の立案を行います。ここでもナポレオンは大敗を喫すこととなります。つまりクラウゼヴィッツは、ナポレオンが転落する2つの重要な戦争の分析と作戦の立案を行っており、そして見事にこの2つの戦争に勝利したのです。もちろんクラウゼヴィッツは一参謀であり、この勝利をクラウゼヴィッツだけのものとすることはできません。しかし彼の分析力が勝利に貢献したのは間違いないでしょう。つまりクラウゼヴィッツの戦争論は、実際の戦争を分析を通じて培われたものであり、しかもその戦争とは単なる戦争ではないのです。ナポレオンという稀代の天才との戦争であり、それだけでなくナポレオンに勝利さえしたのです。これだけでもクラウゼヴィッツの戦争論の説得力は十分であると言えるでしょう。

ナポレオン戦争後のクラウゼヴィッツ

ナポレオン戦争後にクラウゼヴィッツは、引き続き軍人としてのキャリアを続けました。プロイセン陸軍大学で戦争の分析を深め、そして将校たちに彼の分析を伝授しました。それだけでなく、プロイセン軍の軍事改革にも参画します。つまり軍の近代化です。一方で政治的な軋轢から軍人として思うようなキャリアを歩めないことがあったクラウゼヴィッツは、『戦争論』の執筆に取り掛かることとなります。この『戦争論』こそが、彼のキャリアの最大の業績となるわけです。この戦争論の執筆には彼の妻であるマリー・フォン・ブリュールも協力しています。この知的な夫人は、クラウゼヴィッツの執筆を助ける傍ら、自身も軍事知識を大いに吸収していきます。1831年11月7日にいつものように職務をこないしていたクラウゼヴィッツは突如激痛を感じ急死することとなった。クラウゼヴィッツ亡き後に彼の著作を整理し、刊行したのがこのマリー・フォン・ブリュールである。今日我々がこの優れた著作を読むことができるのは彼女のおかげであり、感謝をしなければならない。

クラウゼヴィッツは戦争を理解する重要な書物

さて、異常がクラウゼヴィッツが何者かという話でした。クラウゼヴィッツは軍人の家系に生まれたエリートであり、幼少期よりその才能を発揮していた。ナポレオンという人類史でも3本の指に入る稀代の天才と戦争で対峙し、実際に勝利を収めている。彼は参謀として戦争に参加したため、戦争における洞察と分析に長けている。またナポレオン戦争後は軍人としてのキャリアを続けながら戦争に関する研究をより深め、戦争論を執筆することとなる。

これだけの業績とキャリアがある人物が書いた戦争論は、戦争を実際に経験していない一般人からすれば、戦争とは何かをはるかに深いレベルで教えてくれる、名著中の名著であると言えるだろう。

日々戦争に関するニュースが溢れる中、より戦争を理解したい人にはぜひ読むことをお勧めしたい。

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