MENU

ナポレオンを支えた最強将軍5選


ナポレオンにつかえた有名な将軍を5人ご紹介します。
ナポレオンといえば、戦争の天才ですが、
そんな彼を支えた戦争の天才たちをご紹介します。
その誰もが時代が違えば、王たりえた天才たちです。

目次

天敵ジャン=バティスト・ベルナドット

“まず一人目はこちら、
ジャン=バティスト・ベルナドット”
“やはり一人目はこの男でしょう。
大博打に大勝利した男であり、
ナポレオンの天敵です。”
1763年1月26日にフランスのパウで生まれです。
“生まれは弁護士の家系であったのですが、
父親が早くになくなり厳しい経済状況に陥ります。”
“経済的に苦しかったため、
兵士として働くことを決意します。”
“そして92年の大混乱であるフランス革命とともに、
フランス軍へ入隊し、革命戦争に従軍することとなります。”
“その勇敢な指導力により、昇進を重ね、
ナポレオン・ボナパルトの信頼を得るようになりました。”
軍事的才能が目覚ましく、また常に冷静沈着でした。
“1804年、ナポレオンが皇帝になると同時に、
ベルナドットは義理の兄弟となります。”
“マースク伯爵の称号を授与され、
フランス貴族となりました。”
“裕福であったとしても、農家の生まれであった
ベルナドットが貴族となったのだから、大出世なわけです”
“この時点でも大博打に成功したと言っていいわけですが、
この男はそれで止まりません。”
“1810年、 スウェーデンの王位が空虚となり、
その後釜にベルナドットが打診されることとなるのです。”
なんと、伝統あるスウェーデンの王様になるわけです。
“貧しかった1兵士が王様に、
なんともロマン溢れる話です。”
“王になった後も堕落するのではなく、
スウェーデンの近代化改革に着手します。”
“農業教育にも力を注ぎ、
スウェーデンの国力を高めました。”
“そしてナポレオンへの恩恵を忘れることなく、
フランスとの同盟国としての立場を堅持しました。”
“しかし1812年になると、フランスと国交を断行する。
代わりにロシアと同盟を結ぶこととなります。”
“デネヴィッツの戦いでは、プロイセン、ロシアとともに
フランスと戦い、見事勝利を収める。”
“その後にノルウェーともいざこざが起こり、
ベルナドットはノルウェーの国王も
兼任することとなります。”
“ベルナドットは、
ナポレオン敗退後も王として君臨することになります。”
“そういう意味において、ナポレオンよりも成功した
男といえるかもしれない。”
1844年1月26日、81歳でその生涯を閉じた。

オーデコロンのミュラ

続いては、この男、ジョアシャン・ミュラ
この男も非常に有名な男です。
“ナポレオンの将軍といえば、
大筆頭に挙げられるほど有名です。”
“ミュラはナポレオンの妹と結婚し、義弟となり、
そしてナポリ王国の国王にまで上り詰めました。”
ナポレオン戦争期の英雄の一人といえるでしょう。
ミュラは現在のフランスのロットに生まれました。
“父親はピエール・ミュラ=ジョルディといって、
裕福なヨーマンでした。”
“両親はミュラに司祭になることを望み、
彼は神学校に進むことになります。”
“しかしミュラにとっては、このありきたりに
保守的な道に進む気はなかったようです。”
“87年に騎兵隊が彼の街を通過したときに、
彼は逃亡を決意し、そのままアルデンヌ猟兵隊に
入隊しました。”
これが彼にとって、最も大きなはじめての冒険でした。
“その後順調に昇進を重ねていったミュラでしたが、
92年に憲兵隊に入隊後にすぐに脱退することになります。”
“というのも、ミュラには
喧嘩や決闘が絶えなかったためです。”
“しかし革命に夢中であっミュラは、
共和党の支持を取り付けて連隊へと復帰します。”
“革命という背景もあり順調に昇進し、
そのことがミュラを勇気づけました。”
“聖職者の道を断ったこと、
あの時の大冒険は間違いではなかったことを、
彼は証明したいと考えてました。”
そしてその時はまさに来ました。
“ナポレオンが司令官に任命されると、
ミュッラはナポレオンに自ら志願します。”
“そしてナポレオンはミュラに大砲を集める任務を
与えました。”
“ミュラは暴徒がはびこる中、勇敢に進んでいき、
サブロンの大砲を奪い、みごとパリ中央へと運びました。”
“この時のミュラの勇敢な行動は、
ナポレオンの脳裏に確かに刻まれたことでしょう。”
“ミュラの勇敢さに一目ぼれしたナポレオンの妹、
カロリーヌと結婚をすることとなります。”
“ナポレオンはミュラを重宝するようになり、
「ヨーロッパ第一の騎士」の称号を与えます。”
“ウルム、アウステルリッツ、イエナ、アイラウ
など、様々な戦いで彼は突撃騎兵を指揮しました。”
そして1808年にはナポリ王に任命されることとなります。
“彼は大陸において最強の騎兵指揮官として、
名声を確立していきます。”
“ドイツ戦役中においても、ナポレオンの傍で
共に戦ったミュラでしたが、”
“ライプツィヒの戦いで敗北した後、
ミュラは自らの王位を守るために、
連合軍へと寝返ることなります。”
“15年にオーストリアに宣戦布告し、
トレンティーノの戦いで敗北をします。”
“その後に、コルシカ島へと逃亡し、
ナポレオンへの面会を試みますが、これを拒否されます。”
“なんとか王位を取り戻そうとするも、
フェルディナンド4世に逮捕され、
最後は死刑宣告を受けることとなります。”
“死刑を執行される際に、オーデコロンをつけて、
目隠しをしないことを求めた。”
彼の願いはかなえられ、最後は射殺された。
“伝説的な騎兵指揮官であり、勇猛の名を馳せた
ミュラであったが、”
“最後は背信とともに、
あっけなくその生涯を閉じることとなりました。”

地中海の少年マッセナ

次の将軍はこの人、アンドレ・マッセナです
いったい何人ナポレオンのもとには優れた将軍がいるんでしょうか。
“この人はナポレオンをして、
最も偉大なる名声とわしめてます。”
“実質的に彼がナポレオン軍を指揮していたという
人もいるほどです。”
“マッセナはニース生まれです。
父親はワイン商でしたが、幼いころに直ぐに亡くなります。”
“そのため母親が再婚した後には、
父親の親戚のもとで暮らすことになりました。”
“13歳の頃からはやくも商船の客室係として働きにでました。
思春期の長い年月を海の上で過ごすこととなります。”
広大な海の世界をみて、このころの彼は何を思ったのでしょうか?
4年後にフランス王立陸軍に入隊することを決意します。
そして89年に退位するまでに、彼はんあと准尉まで昇進します。
非貴族の出自である彼にとっては、これは驚異的な昇進です。
“同年に外科医の娘である、アン・マリー・ロザリー・ラマール
と結婚し、一時は彼女の故郷で過ごしていました。”
その後陸軍に復帰します。
さて、92年にフランス革命戦争がはじまります。
“この戦争でマッセナは頭角を現し、
一気に旅団将軍まで昇進します。”
ロマーノの戦い、リヴィエラの戦いで活躍を見せる。
“イタリア遠征ではナポレオンにとっては非常に重要な
部下となっていました。”
特にオーストリアでの戦いは目覚ましいものがありました。
“はじめにヴェローナからリヴォリへと雪に覆われた道を
24キロも行軍するように命じられます。”
“オーストリアの側面部隊を攻撃するためであり、
この作戦にマッセナは見事成功をしました。”
その翌日も24時間かけて111キロもの行程を踏破します。
オーストリア軍を挟み撃ちし、降伏させました。
“これによりナポレオンは「勝利の子」とマッセナを
称えました。”
“戦争はフランスの革命を中心とした戦争から、
ナポレオンを中心とした戦争へと移行していく。”
“1804年にナポレオンは、
マッセナを帝国元帥に任命しました。”
“地中海での下働きとして海を眺めていたマッセナ少年は、
この新しい景色を見たならばいったいどう思ったでしょうか。”
ナポリ王国への作戦の指揮権を与えられます。
“これはナポレオンが国王になっただけでなく、
王国が巨大でありかつ敵が多数いたためである。”
“もはやナポレオンの指揮だけではこの大勢の敵を処理しきるのは、
不可能だったのです。”
“マッセナは天才ナポレオンが信頼に足る軍事的天才であった、
ということができるのです。”
“さて、ここで少し余談になりますが、
ナポレオンと共に狩猟をしている際に、
味方に誤射されるという事件がおきます。”
これによってマッセナは片目を失明してしまいます。
“現役復帰後に第五回次大同盟戦争に参加しています。
いわゆる1809年オーストリア戦役です。”
ここでもマッセナは目覚ましい活躍をみせます。
“アスペルン=エスリングの戦いでナポレオンが
ドナウ川北岸へと渡ろうとする際に、”
“マッセナは2日間もの激闘の末に、見事アスペルンの村を
守り切るのです。”
これによってマッセナはエスリング公の称号を与えられます。
“その後にポルトガル軍司令官に任命されるも、
英国とポルトガル軍を前に敗戦を余儀なくされます。”
“スペイン国境まで後退をし、ナポレオンに
「エスリンク公よ、そなたはもはやマッセナではない」”
と失望の言葉を投げかけられました。
“国王ルイ18世が復位後に、ナポレオンが亡命先から
帰還すると、マッセナは再びナポレオンに味方します。”
“そしてナポレオンが決定的に敗北したのちも、
王党派への忠誠には消極的でした。”
ミシェル・ネイ元帥の裁判も拒否しました。
“1817年に58歳で死去し、パリの最大墓地である
ラシェーズ墓地に埋葬されます。”
いまでもマッセナの墓地を見ることができます。

勇者ネイ

次のナポレオンの将軍は、ミシェル・ネイです。
“彼ももっとも有名な将軍の一人でしょう。
ナポレオンは彼を「勇者中の勇者」とたたえています。”
“ネイは、フランスとドイツの国境に沿った、
フランスのロレーヌ県サルルルイの町で生まれました。”
彼の父親は七年戦争の退役軍人であるピエール・ネイです。
“彼はドイツ人が多数住んでおり、オーギュスタン大学に進学し、
公証人役場で事務員として勤務しました。”
“しかしこの仕事はネイにとっては合わなかったようです。
そこでユサール大佐連隊に入隊することとなります。”
“この仕事こそがネイにとって天職であったようです、
ネイは急速に昇進しました。”
“フランス革命後には、現在のフランス革命軍である
北部軍に勤務しました。”
“1792 年 にヴァルミーの戦い、
1793 年にネルヴィンデンの戦いに参加し、”
マインツ包囲戦で負傷をしました。
96年8月には准将に昇進し、ドイツ戦線で騎兵を指揮しています。
ナポレオン戦争では、帝国元帥となります。
“ネイが勇者中の勇者と呼ばれた理由は、
ロシア侵攻にある。”
“この戦いでナポレオンは大敗退を喫してしまう。
無残にもフランスへと逃避することになるのですが、
この時に後衛を守っていたのがネイでした。”
“クラスノイの戦いで本軍から切り離されてもなお、
ネイは大きな損害を出すことなく本軍に合流してみせた。”
“ナポレオンにとってはこの無残な戦いにおいてわずかに
感じた希望であり、これがためにネイを勇者中の勇者と
称えたのでした。”
この一幕は彼にとっては伝説として語られている。
“しかしナポレオンが敗退すると、
ネイはナポレオンに退位と亡命をするように圧力をかけた。”
“これによって国王ルイ18世に気に入れられ、
昇進をするも、ブルボン王朝は平民のネイを軽蔑することとなる。”
“ナポレオンが復帰した際には、ネイは国王に忠誠を誓い、
ナポレオンを敗退する約束をした。”
“しかしナポレオンから手紙を受け取ると、
国王を裏切りナポレオンの側につきました。”
“これによってナポレオンが完全に敗退した後には、
ネイは逮捕され裁判にかけられました。”
“結果は、137人が死刑、国外追放が17人、棄権は5人という
ものでした。”
銃殺刑を受けて、ネイは46歳でその生涯を閉じることとなります。

最強ランヌ

さて、ではナポレオンの将軍最後の5人目となります。
それがジャン・ランヌです
“多くの人は、このジャン・ランヌこそが、
歴史上もっとも偉大な司令官の一人だと主張します。”
また、ナポレオンの個人的な友人でもあります。
“ランヌは南フランスにある、
レクトゥールという小さな町で生まれました。”
10代の頃には早くも染物職人に見習いになりました。
“教育は受けていなかったのですが、
身体的な能力が優れていたため、
スペインとの戦争で曹長に選出されました。”
“ピレネー遠征中に優れた成果を残し、
旅団長にまで昇進します。”
“テルミドール会議によって導入された軍会議のあおりをうけて、
一時は解任されるも、自ら志願兵として再入隊をします。”
イタリア戦役に従軍し、その後もまたたくまに昇進していきます。
彼の戦い方は非常に勇敢であり、また大胆でもありました。
“ある時は自ら敵の旗を奪い取り、
ある時は負傷を負いながらも指揮を続けました。”
“当然彼の働きはナポレオンの目にとまるようになり、
エジプト遠征へと同行することになります。”
シリア撤退中の役割は目覚ましいものがありました。
“ナポレオンによるフランス帝国が建設の際には、
元帥の一人に選出されました。”
“アウルテルリッツ、第四次対仏大同盟、では
目覚ましい活躍を見せました。”
彼の戦いは現代でも研究の対象となっています。
“しかし彼の勇敢で大胆な行動がためか、
ある不幸がランヌを襲います”
“アスペルン・エスリンクの戦いはナポレオンが直接指揮を
した戦いであり、当然腹心のランヌもこれに参加しました。”
“そしてこの戦いにおいてナポレオンにとっては数少ない
敗北を喫しました。”
“この戦いで砲弾を受けたランヌは重傷を負い、
主治医に急遽運ばれて、片足を切断しました。”
“勇敢にも彼は激痛に耐えましたが、
そこにナポレオンがやってきて、
傷ついたランヌを抱きしめて涙を流しました。”
8日後の夜明けにランヌはなくなってしまいます。
“多くの将軍がナポレオンの敗退後にその態度を変えましたが、
もしランヌが生き残っていれば、彼はどうしたでしょうか。”

天才の将軍もまた天才

以上がナポレオンに仕えた5人の将軍たちでした。
“すべての将軍が一国の王になる器であり、
実際に王として君臨していました。”
“彼らはナポレオンと同じように、フランス革命において
成功をした人物です。”
“天才的な軍事の才能をもっており、
野心も強かったわけです。”
“しかしこういった天才たちの中で、
第一人者となったナポレオンがいかに
怪物だったかがわかるでしょう。”
あなたはどの将軍が好きだったでしょうか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次