今回は主観でローマ最強の軍人3人を選出してみました。正直ローマでは軍事的才能に溢れた人物がたくさんいます。というのもローマという制度が優れた人物を輩出できるようなシステムを採用していかたらです。その中で5人を選ぶのは非常に難しいですが、あえて3人を選出してみます。
スキピオ・アフリカヌス
この人は鉄板中の鉄板でしょう。彼が有名になったのは主に塩野七生先生の業績も大きいでしょう。
スピキオの生涯
スキピオは紀元前236年に生まれました。父親も同じスピキオという名前で有名な将軍です。幼い頃から英才教育を受け、優れた才能を示していていました。紀元前218年に早くもヒスパニア遠征に参加し、カルタゴ軍との戦いの勝利を経験しました。しかしハンニバルという天才が現れ、父親が敗れてしまいます。しかし指揮官となったスピキオが206年にカルタゴ本土へと遠征する。ハンニバルの弟であるハスドルバルを破る。ついで歴史上有名なザマの戦い(紀元前202年)で、最強であったハンニバルをも破る。この戦いでスピキオはアフリカヌスの称号を得て、ローマにおいて英雄となります。しかしローマにおいて政治的策略は尽きないものであり、スピキオは政治を引退し、後年は家族と共に穏やかな晩年を過ごしたとされます。
スピキオの軍事的業績
スキピオ・アフリカヌスが軍事的天才である根拠は一言ですみます。
「あのハンニバルに勝利したのが、このスキピオ・アフリカヌス」
これだけで十分だろう。ハンニバルといえば世界史にも名を残している天才的将軍です。あのナポレオンもハンニバルを研究しています。ハンニバルは非常に有名な将軍ですが、彼を破った人物は?と言われると実はあまり知られていません。ローマの優れた将軍が挑んでも絶対に敗れなかった天才ハンニバルを破ったのがこのスピキオ・アフリカヌスです。しかも割と圧勝しています。
このスピキオアフリカヌスは生涯は無敗であったとも言われています。もちろんそれに関する確証とされる資料は残っていないので、あくまでも噂にすぎません。しかしスピキオが多くの戦いで勝利したのは間違いありません。ローマを最も苦しめたハンニバルに割と圧勝したスピキオ。彼は間違いなくローマ最強の武将の一人です。
ユリウス・カエサル
長い歴史の中でも一番有名で人気もヘイトも高いのがこのカエサルでしょう。カエサルは政治家としても一流でしたが、軍人としても一流でした。
カエサルの生涯
カエサルは紀元前100年という割と区切りのいい時代に生まれです。ちなみに多少前後した年号での説もあり。由緒正しい生まれの家系ですが、彼の政敵が政権を奪ったことにより、不遇の青年時代を過ごすこととなリマス。しかしそんな苦難もものともせずに、カエサルは着実にキャリアを伸ばしていくことになります。
カエサルの転機となったのは、ガリア遠征です。現在のフランスの地域ですが、カエサルはここを遠征し、8年ほどの年月をかけてローマ領としました。カエサル自身がガリア戦記という本を執筆しています。このガリア戦記によってカエサルは民衆による爆発的な支持を集めます。逆に元老院にとってはカエサルが煙たい存在となります。これによってローマは内乱に突入し、カエサルはポンペイウスと対立します。カエサルが勝利し、ローマを独裁することとなります。カエサルは様々な改革を行いますが、最終的には元老院によって暗殺されることとなります。
カエサルの軍事的業績
カエサルが軍事的天才であった根拠は、やはりガリア戦争での勝利にあります。カエサルはスピキオのように常勝ではなくしばしば敗北も経験していました。カエサルにとって軍事的才能は、どちらかといえば政治的勝利のための手段でした。しかしカエサルは常に困難で不利な状況であったも、優れて柔軟な頭脳を持っていたため、これを乗り越えていきました。ローマから離れたガリアの地でも、数的地理的不利な中で、持ち前の柔軟さを持って勝利をすることができました。
次にポンペイウスとの戦いの勝利です。ポンペイウスはカエサルよりも早くに名声を確立し、ローマでは英雄として扱われていました。またカエサルがポンペイウスと戦ったのは、ガリアでの遠征から帰ってすぐです。元老院はポンペイウス側についていたため、実質はローマそのものと戦うこととなります。ポンペイウスという才能とローマという後ろ盾を持ってしても、遠征帰りのカエサルに勝利することはできませんでした。これもカエサルの軍事的才能と言えるでしょう。
カエサルは戦争は非常に上手でしたが、それよりも彼の軍事的な有能さは、条件では明らかに不利であってもそれを覆すことができるということです。
フラウィウス・ベリサリウス
さて、スピキオとカエサルといえば、ローマの将軍においてもビックネームです。最強の将軍に選出するのは当然といえば当然です。では3人目は誰になるでしょうか。つまりこの天才2人に並ぶほどの人物は誰でしょうか。実際のところこの2人の天才に負けず劣らずの優れた将軍は何人か上げることができます。しかしここではあえてこの人をあげましょう。それはフラウィウス・ベリサリウスです。
フラウィウス・ベリサリウスの生涯
フラウィウス・ベリサリウスは東ローマ帝国の将軍です。紀元前505年ごろのトラキア出身であり、貧しい農民の出身だったと言われています。この時点でなんともドラマを感じます。若い頃にローマの兵士となり、戦場で軍事的才能を見出され、出世を重ねていくことになります。
ユスティニアヌス1世によって東ローマ軍の司令官に抜擢されます。この偉大な大抵はペリサリウスを語る上では切っても切れない関係です。それは大帝にとっても同様で、このベリサリウスこそが大帝の実質的な剣であり、領土拡大に貢献したのです。ユスティニアヌス帝の治世にニカの反乱が起こるが、ベリサリウスがこれを容赦なく鎮圧した。次いで北アフリカにあるゲルマン人による国家であるヴァンダル王国へと遠征し、これを征服する。いわゆるヴァンダル戦争である。
次に有名なゴート戦争である。これは535年から554年もの長い年月をかけて行われたイタリア半島とその周辺を巡る戦いです。これは蛮族によって失われたイタリア半島を取り返すという、いわばローマ帝国にとっては聖戦のような戦いとなります。。第一期と第二期に別れ、第一期をベリサリウスが将軍として指揮官に立っており、そしてベリサリウスは見事イタリアの征服に成功します。
ここまでみても、いかにペリサリウスが英雄譚に満ちた人物かが分かるでしょう。非常にドラマチックな生涯を歩んだ人物です。
ベリサリウスの軍事的業績
ベリサリウスはヴァンダル王国を征服し、東ゴート王国と戦いイタリア半島をローマの元へと取り返しました。この二つだけでも、彼がいかに大きな軍事的業績を残したかがわかるでしょう。ベリサリウスによってローマはかつてのローマとしての栄光を取り戻すことができたのです。
しかし実際のところ、ベリサリウスはしばしば敗北を経験しています。特に初期のイベリア戦争では敗北を重ねています。しかしその後の彼の大部分のキャリアにおいては、ほとんどの戦争を勝利しています。
将軍としての技量は、スピキオやカエサルと並ぶ力量であったと言えるしょう。
3人の将軍
さて、今回はローマが誇る3人の天才将軍を紹介しました。それぞれが非常に魅力に飛んだ人物であり、どのサーガもいまだに私たちを魅了してくれます。この3人の中でやはりとりわけ優れているのはカエサルかなと思います。将軍としての能力は他の二人もカエサルに劣らないかと思いますが、カエサルの凄さは、本業が政治家であるという点でしょう。政治家でありながら副業の戦争も抜群にうまいわけです。カエサルがいかに名高い名声を獲得したかが、これでわかるというものです。
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